名電築港。
築港線の一区画、名古屋臨海鉄道との境界。ここは、名鉄ファンなら言わずと知れた名鉄電車にとって最後の場所。
舞木にて廃車準備を施され、大江に運ばれた解体予定の車両は、築港線を経てここに運ばれます。
奇しくも、それは新車として搬入された経路の逆戻り。通常、本線系の新車として搬入される名鉄電車の多くは愛知県豊川市の日本車輌で落成し、JR東海道線、名臨海の線路を経て名鉄線にやってきます。そして名鉄線内で最初に踏み入れるのは、まず築港線となります。
即ち、名鉄電車にとっては最初と最後の場所と言うことになります。
その回送手順としては、2000年初頭は名古屋臨海鉄道のDLが大江までお迎え。大江からDL牽引により東名古屋港、名電築港へ。(譲渡車の大江埠頭への輸出もDL牽引)
現在はEL120が牽引もしくは自走で東名古屋港まで行き、そこから軌陸車で築港へ押し込まれます。時代によって少しずつ変化しているようです。
解体においても、2000年初頭まではこの名電築港で重機により豪快にバラバラにされていましたが、近年は車体を分割してトラックに積み込み、リサイクル工場に輸送されています。
(▼旧3300系の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/06/011024
しかし、解体場所が変更された時期がありました。
2003〜2005年頃、7039Fを革切りに5500系や8800系、7500系(7507Fを除く)が小牧線の間内付近(検車区予定地)で解体が行われました。名電築港では車両の断熱材に使用されていたアスベストが自治体の規制に触れるので間内になった…という噂を聞きましたが、真相は不明です。
しかし、2005年10月に間内で解体中の7503Fに落書きされたとのこと。その影響なのかは不明ですが、現在は再び名電築港に戻っています。
(▼間内解体場の記事はこちら)
https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/28/105524
どんな車両にも最後は来るとはいえ、お世話になった思い入れのある車両の解体を待つ姿を見ると寂しい気持ちになります。
【2003〜2006年廃車車両および解体場の変遷】
2003年 5月 3301〜3304F 名電築港
2003年12月 1134.1184号 名電築港
2004年 2月 7039F 間内(初の施行)
2004年12月 7507F 名電築港
2005年 2月 7511F,5513F,5515F,5517F 間内
(※7511Fは舞木から大江留置、その後間内へ)
2005年 3月 8801F,8807F 8803F,8805F 間内
2005年 6月 7513F 間内
2005年 8月 7501F,7509F,7505F 間内
2005年10月 7503F 間内
2006年 6月 3401F(2401号)以降、再び名電築港へ