(2021/11/24 更新)
しかし2004年2月に突如、小牧線の間内車庫予定地に7039Fが運び込まれ、そこで解体が行われました。
当初は小牧線の車両基地が作られる予定だったようですが、その後休止になり資材置き場と化していました。解体はこの7039Fから始まり、7500、5500、8800系とここ間内で行われました。なぜか7500系(7507Fのみ?)の一部は同時期である2004年12月に築港で解体が行われましたが、その理由は不明です。
https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/02/02/025752
(▲ 7507Fが名電築港にいる写真はこちら)
間内へ運ばれる場合、前日の夜にデキのPPにより舞木を出発。犬山経由で輸送されました。最後はデキからウニモグへバトンタッチ、側線へ押し込まれていきました。
●2004年2月24日 間内解体場に留置された5500系。ライトなどの部品は既に外されていた。
5500系の場合は、留置後は数日で線路から下され、その後は重機にて丸1日もかからず6両を解体していました。
その際、5517号の運転台のみ保存の為切り分けられ舞木検車区に輸送されました。
間内は周囲が住宅街であり、騒音やアスベスト対策の問題、車体へのいたずら等、いろんな噂がありますが、現在の解体場所は元の名電築港に戻っているようです。
(▼名鉄電車の墓場、名電築港の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2021/04/05/155840
【2003〜2006年廃車車両および解体場の変遷】
2003年 5月 3301〜3304F 名電築港
2003年12月 1134.1184号 名電築港
2004年 2月 7039F 間内(初の施行)
2004年12月 7507F 名電築港
2005年 2月 7511F,5513F,5515F,5517F 間内
(※7511Fは舞木から大江留置、その後間内へ)
2005年 3月 8801F,8807F 8803F,8805F 間内
2005年 6月 7513F 間内
2005年 8月 7501F,7509F,7505F 間内
2005年10月 7503F 間内
2006年 6月 3401F(2401号)以降、再び名電築港へ