(2025/8/21更新: 写真追加)

⚫︎2005年1月28日 当時、名鉄名古屋本線に存在した東笠松駅。
名鉄名古屋本線笠松駅を発車した名古屋方面に向かう列車は、築堤を駆け上がり左カーブののち木曽川を渡る…
いまから20年前、この場所には駅が存在していました。
2025年1月28日、名鉄名古屋本線の「東笠松駅」が廃止となりました。
東笠松駅は笠松駅と木曽川堤駅の間にあり、岐阜県側から木曽川をわたる際の直前にありました。名古屋本線において岐阜県の最南端の駅でした。
東笠松駅は木曽川橋梁開通と同時期の1935年に名岐鉄道の駅として誕生。意外にも70年という長い歴史を誇ったこの駅は、名鉄沿線のローカル駅として地域の暮らしや交通を支えてきただけでなく、目の前にある笠松競馬場へのアクセス拠点としても重要な役割を果たしてきました。

⚫︎2005年1月28日 普通列車のみ停車、それ以外は通過だった。
東笠松駅の構造は、カーブのかかった対向式ホーム2面2線で、簡易的な待合室のみが存在する無人駅。待避線もなく比較的コンパクトな構造でした。ホーム有効長は4両編成で止まるのは普通のみ。急行や特急列車は基本的に通過していました。
東笠松駅は笠松競馬場への最寄り駅の一つとして長く利用されていました。
笠松競馬場は1935年代頃開場し、東海地方の地方競馬の中心として名鉄沿線内外からの集客にも貢献。競馬開催時に臨時停車や増発が行われることもあり、競馬客の鉄道利用を促進する役割も大きなものでした。
競馬場へは隣の笠松駅もこの駅から500mほどしか離れていませんが、東笠松駅はホームから競馬場が見渡せるほど近く、混雑緩和に一定の役割を果たしていました。

⚫︎2005年1月28日 営業最終日だがファンの姿はおらず、いつもと変わらぬ姿で佇んでいた。
そんな東笠松駅も1990年代からは乗降客数は大幅に減少し、廃止間際は名鉄名古屋本線で最も利用者が少ない駅でした。その頃、名鉄は経営計画の一環として利用が著しく少ない駅を廃止することを決定し、2025年1月28日をもって東笠松駅は廃止となりました。
その後、隣の笠松駅は特急停車駅に昇格し、笠松競馬場へのアクセス駅としての地位をより一層強めることとなります。

⚫︎2005年1月28日 廃止を知らせる立看板。
昭和から平成末期まで多くの地域住民と鉄道利用者に愛され、笠松競馬場への玄関口としても重要な役割を果たしてきた東笠松駅。
もともと簡素な駅だったこともあり、現在はただの築堤となって全く駅だった頃の面影が無くなってしまいました。
当時を知らない方にも、この記事でその存在があったことを知っていただければ幸いです。

⚫︎2025年8月20日 ホームの残骸と思われる瓦礫が、今も駅跡地に残っている。
ーーー関連記事で振り返る|空港線開業前後の名鉄(2005年)ーーー
空港線開業と愛知万博を控えた2005年、
名鉄では車両・駅名・種別まで一気に姿を変える動きがありました。
ここでは、その流れを関連記事とあわせて時系列で整理します。
■ 2005/1/28 ダイヤ改正前日(空港線開業直前)
5500系・8800系の運用終了や、東笠松駅・学校前駅の廃止など、「旧時代の終わり」を象徴する改正。
▶︎新岐阜・新名古屋の消滅!?慣れ親しんだ「新」駅名の改称 - のりつぐブログ
▶︎【終焉】名鉄8800系パノラマDX「Last Memory」 - のりつぐブログ
▶︎【名鉄本線】東笠松駅の廃止 〜笠松競馬場を支えた駅〜 - のりつぐブログ
■ 2005/1/29 ダイヤ改正(空港線開業)
2000系・2200系のデビュー、空港線開業、種別体系の再編など、「新時代の始まり」を象徴する大改正。
▶︎空港線・セントレア開港記念ラッピング - のりつぐブログ
■ 2005/2/17 小改正(セントレア開港対応)
中部国際空港(セントレア)開港に合わせた調整改正。短期間だけのレア運用も登場。▶︎一度だけ走った特急パノラマカー「特急 中部国際空港」 - のりつぐブログ
▶︎珍運用?1380系+7000系【782E・5573E】 - のりつぐブログ
■ 2005/3/22 小改正(愛知万博対応)
愛・地球博開催に伴う輸送体制強化。
■ 2005/3/31 名鉄600V区間 運行終了(4/1廃止)
空港線・万博の裏で、静かに姿を消した名鉄路面電車。
