のりつぐブログ

鉄道(主に名鉄),航空機に関するブログです。過去の記事も更新しますので,良ければ見返してみてください ✌︎('ω'✌︎ )

【突発】臨時特急パノラマカー

(2021/11/23 写真追加)

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2003年12月20日 ダイヤの乱れにより実現した板車の特急

 2003年12月20日名鉄沿線は大規模な積雪に見舞われ、本線を含む運用乱れにより多数の車両交換が余儀なくされました。

 中でも注目すべきは、突発的に豊橋新岐阜で仕立てられた「全車一般車」の特急。しかも使用車両はパノラマカーことP6(NSR6)の7041F。

 当時はP6(NSR6)の本線急行が豊橋・豊川⇄新岐阜の2本あったので、当日運用に就いていたと思われる7041Fをそのまま流したのだと思われます。神宮前には13:40頃入線してきました。

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2003年12月20日 車両は7041F、特急板が眩しい

 

 1987年8月に白帯解除後、特急運用を離脱した同編成が、大きな逆富士に特急マークを掲げる姿は誇らしげに見えました。

 新岐阜からの折り返しを期待しましたが、さすがに1200系と交換されたようで豊橋行き特急は実現しませんでした。

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●2004年3月13日 豊明で行われた名鉄観光イベントにて。豊橋行き特急も見たかった…

 

 

2000年代に入ってから「特急パノラマカー」が復活したのは数えるほどだったと記憶しており、かなり稀だったと思われます。

 公式に前もって判明していたのは、セントレア開港時の臨時特急くらいでしょうか。この時には板車のP6は組み替えにより存在しなかったため、2003年12月20日の7041Fが最後の板車での特急運用だったと思われます。

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2005年2月17日 臨時で特急運用についた7007F

 

(▼開港時の特急パノラマカーの記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/28/171300

(▼7041Fパノラマカーの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/14/222844

※当時の資料が少ないため、目撃者の方のご意見いただければ幸いです。


※新製品 4月発売※名鉄7000系パノラマカー(第47編成)白帯車セット(4両)【TOMIX・98429】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」

地上駅だった「上飯田」

 

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2003年3月15日 旧上飯田駅1番線に留置される300系

 いまや名鉄300系と名市交7000形の独壇場である名鉄小牧線。その見慣れた行き先である「平安通」。しかし以前の小牧線は長らく「上飯田」が終点でした。 

 

 

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2003年3月15日 旧上飯田駅のホーム。改札口があった奥のビルは未だ健在。

 2003年3月27日から名古屋市営地下鉄と相互乗り入れを行う形で平安通まで開通した小牧線。この上飯田連絡線(上飯田平安通)の開通により、当時地上駅であった(旧)上飯田は地下に移設となりました。

 

 

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2003年3月15日 地上時代の上飯田駅に入線する317F。廃止区間は単線だった。

 

 

 遡ること2002年春、上飯田連絡線開通を見据えワンマン運転機能を備えた名鉄初のステンレス車300系(311F~318F)8編成、名市交7000形(7101H~7102H)2編成が新製され運用を開始(名市交7000形は2003年3月27日から)。小牧線はそれらの20m4扉車と従来の鋼鉄車(旧3300系や6Rなど)の18m車と共存する線区となりました。

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2003年3月13日 小牧線上飯田行きの運用につく6800系前期車。

 

 

 上飯田連絡線味鋺からすぐ地下に入るため、開通により地上線である味鋺〜(旧)上飯田は廃止となりました。わずか一区間ですが、庄内川矢田川を渡る鉄橋が存在しました。新製された300系たちも上飯田線開通までの約1年間、地上駅時代の(旧)上飯田に乗り入れていました。旧駅は1面2線島式の4両ホームで、その南側に改札口がありました。

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2003年3月13日 矢田川鉄橋を渡る300系。今は撤去されている。

 

 

 上飯田連絡線の開通を控えた2003年3月26日、旧3300系の引退と共に(旧)上飯田はその機能を地下ホームに移し、ワンマン運転化により運用も名鉄300系と名市交7000形に統一されました。行き先もほとんどが終点の上飯田から平安通となりました。(上飯田行きは始発・終電では未だ存在するようです。)

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2003年3月26日 旧3300系引退式も地上の上飯田駅で行われた。

 現在、旧上飯田駅はその建物自体は残っているものの、ホーム跡地は駐車場になっているようです。

 

(▼旧3300系の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/06/011024

 

(▼300系布袋留置時の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/02/06/022719

 

旧3300系の珍運用

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2003年3月15日 田県神社前で交換する旧3300系

 名鉄通勤車では珍しい3両編成という特異な組成だった旧3300系。車体は新製されましたが、床下機器は先代のAL車から引き継いだお古のもの。そのため、広見線小牧線築港線の普通運用で限定的に活躍していました。

(▼旧3300系の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/06/011024

しかし平日朝の運用では、少数ながらも珍運用がありました。

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2003年3月14日 広見線で急行運用をこなす旧3300系

 先にも述べましたが、旧3300系はそのほとんどが普通運用でした。しかし、犬山始発御嵩行き1本だけ「急行」運用が存在しました。「急行御嵩」行きですが、新可児から普通に変更だったようです。

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2003年3月14日 新鵜沼始発で広見線へ直通する列車もあった。

 また、1990年代後半までは犬山〜(各)新岐阜各務原線運用がありましたが、晩年は小牧線広見線築港線が主体でした。しかし平日早朝に一本だけ犬山線を走る、新鵜沼始発の御嵩行きが存在しました。

 新鵜沼駅は2002年に新たに4・5番線ができましたが、旧3300系とのコラボも珍しいのではないでしょうか。 

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2003年3月に引退した3300系。チラシも配られた。

 晩年を迎えた旧3300系は、さよなら運転が告知されヘッドマークを付けて走行。2003年3月26日に旧上飯田にて式典が行われましたが、その裏で3301F+3302Fの6両で舞木廃車回送されました。

モ571団臨、美濃町線へ!

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2004年11月23日 日野橋まで入線したモ571号。モ570に続行標識が付くのも珍しい?

 普段は岐阜市内線専用車として運用されるモ570形ですが、「鉄道友の会」主催の団体運用として市ノ坪〜日野橋〜忠節〜新岐阜駅前で運行されたことがありました。

 

 昔は美濃町線専用車だったモ570形(モ571〜573)ですが、末期は岐阜市内線専用でしかも朝夕のラッシュ時のみの限定運用。この美濃町線の日野橋まで入線するのは非常に珍しかったと思われます。この団臨でモ571は美濃町線へ久々の里帰りを果たした形になりました。

 

 また、美濃町線は単線であるため、続行で2本列車が続く場合は先行車に続行板(黄色の反射板)が掲出されます。(競輪場〜日野橋)

この時、日野橋から競輪場まではモ570形が先行運転を行うため、570自体には珍しく前面に続行板が掲出されました。

 

(美濃町線の市ノ坪に車庫があるため、市ノ坪〜競輪場〜徹明町経由での回送はありますが、1977年頃に岐阜市内線専用になってから以降は競輪場〜関方面の運用少なかったと思われます。)

 

名鉄モ570形の記事はこちら

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/06/30/082359

 

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2005年1月9日 徹明町(美濃町線)に停車するモ572。

 追記ですが、この2カ月後にも同じく鉄道友の会主催でモ570形(モ572)の団臨が運行されました。この時も経路は同じく日野橋まで入線、「トワイライトクルーズ号」と題して、一時間落としたスジで運行されました。

 

【2004/11/23(火) モ571号】

市ノ坪1611〜日野橋1627-30〜忠節1714-24〜新岐阜駅前1741

 

【2005/1/9(日) モ572号】

市ノ坪1711〜日野橋1723-30〜忠節1817-25〜新岐阜駅前1843

 

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2005年11月23日 この日の鉄道友の会団臨は2本あり、8807F・モ571で行われた。

▼団体専用8807Fの記事はこちら

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/06/12/080647

 

飯田線119系、東海道本線回送

‪(2024年3月13日更新)

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2004年7月24日 白昼堂々、東海道本線を下る119系。

 

尾張一宮を通過する119系。

 

 1983年から2012年3月まで専ら飯田線で活躍していた同車。

元々は静岡区所属でしたが、2002年からは大垣区へ所属変更となりました。そのため、検査の場合は所属の大垣電車区へ回送されていました。したがって、普段は走行しない東海道本線を通ることになります。

 

 豊橋から大垣への回送は午前中でしたが、その返しは夜。21時ごろ名古屋に運転停車していました。

 

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⚫︎2011年12月31日 雄大な雪山を背景に飯田線を行く119系。

 

 

 飯田線の主力だった119系。2011年から213系5000番台や313系3000番台による交替で、2012年3月にはJRから姿を消しました。

 

 中でもE4編成は、後に青色のリバイバルカラーとなり、E5編成と共に最後まで活躍。同車はえちぜん鉄道に2両3編成移籍することとなりました。

 

 

少数派!高山本線のキハ47形

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2005年2月3日 各務ケ原に停車するキハ47形4連

 当時、高山本線の主力車両としてキハ40系列(キハ40.47.48)が運用されていました。

 中でも両開き扉のキハ47は美濃太田車両区に5両のみ存在する少数派で、朝のラッシュ時などでは限定運用が組まれていました。

 基本的に2+2の4両編成で運用されていたようですが、検査の兼ね合いで他形式が組み込まれることもありました。

 

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検査の関係で、キハ40やキハ48を組み込むことがありました。

 新型系列のキハ25、武豊線からの転属キハ75により高山本線の他、太多線紀勢本線からも順次ミャンマー国鉄へ譲渡。高山本線においては2015年までに、紀勢本線においては2016年までに引退し、キハ47も含むキハ40系列はJR東海から形式消滅しました。

名鉄ラッピング車両の歴史

 近年、名鉄では様々なラッピングが現れるようになりました。2003年以前は600Vや犬山モノレール線を除き、本線系統では戸袋の広告程度にとどまり、車体全体を覆う物は見られませんでした。

 しかしパト電を皮切りに、それまではあまり無かった本線系統の車体ラッピング広告は徐々に増加していきました。

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2015年1月31日 様々なラッピング車両が本線系統で見られるようになった。

 

 

 

●第一弾「パト電コノハ警部号」 (3701F,3106F)

 2003年3月から、愛知県警が防犯を呼びかける目的で登場したラッピング車両。パトカーに準じたカラーリングが人気で、運用掲示板ではいつも注目の的。特に3R4+2でのパト電同士の運用は沿線を沸かせました。

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2003年3月7日 愛知県警のラッピングを纏った3701F+3106F

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/23/233104 

(▲パト電コノハ警部号の記事はこちら)

 

 

 

●第二弾「デカレンジャー号」 (7011F,5705F)

 2004年3月13日からの日本モンキーパークでの「スーパー戦隊ワールド2004」の開催にあわせ登場しました。当時、パノラマカーによるラッピングは注目を集めましたが、これが最初で最後となりました。一般の方はわかりませんが、当時のファンの間では不評だった記憶があります。7011Fと比較し5705Fの方は割と控えめな印象でした。

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2004年4月1日 最初で最後となったパノラマカーのラッピング車

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2004年5月24日 5705Fに施された戦隊ラッピング。P車、SR車へのラッピングは初となった。

 

 

●第三弾 「ムシキングワールド2004」(5304F,215F)

 2004年7月から、日本モンキーパーク夏催事「ムシキングワールド2004」の開催にあわせ登場しました。

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2004年7月13日 5304Fに施されたムシキングラッピング。

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2004年7月15日 犬山の留置線で佇む215F

 

 

第四弾 初代「ポケモントレイン」(213F)

 2004年9月から、日本モンキーパーク夏催事「わくわくポケモンAGアドベンチャー」の開催にあわせ登場しました。 意外なことにポケモントレインの初代は100/200系だったんですね。

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2004年10月3日 ポケモンラッピングが施された213F。

 

 

●第五弾 初代 KitKatきっとサクラサクよ!トレイン」(3702F,3703F)

 験担ぎで有名なキットカットですが、2005年から「キットカット受験生応援列車 きっとサクラサクよ!トレイン」という列車を走らせていました。名鉄だけでなく他の大手鉄道会社で行われており、後年にも続くものとなりました。当時、名鉄では3702Fと3703Fの2編成仕立てられましたが、デザインの違いはありませんでした。

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2005年1月24日 初代 Kitkatラッピング 3703F

 

 

●第六弾 開港1周年「セントレアフレンズ」号 (2006F)

 空港線開業時は2005Fにて前面の貫通扉にシール貼り付けのみというシンプルなものでした。しかし開港1周年を迎えた翌年、2006Fの編成全体にセントレアのイメージキャラクターのラッピングが施されました。2000系がまだ3両編成だった頃です。こちらのラッピングも後年続くことになります。

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2006年3月5日 セントレアフレンズ号として運行された2006F

 

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【ラッピング車両の歴史】

1994年7月 名鉄100周年ブルーライナー・ミニ(772F)

2000年7月 LOFT(モ782) からモ780で車体広告が順次増加

2001年8月 中日新聞社 高橋尚子(776F)

2003年3月 犬山モノレール(MRM100形,101F)

 

●本線系統

1994年7月 名鉄100周年ブルーライナー(1007F)

2000年10月 どーもくん号(1010F)

2003年4月 パト電コノハ警部号(3701F,3106F)

2004年3月 スーパー戦隊ワールド2004(5705F,7011F)

2004年7月 ムシキングスタンプラリー2004(5304F,215F)

2005年1月 きっとサクラサクよ!トレイン①(3702F,3703F)

2006年1月 開港1周年セントレアフレンズ号(2006F)

2006年1月 きっとサクラサクよ!トレイン②(3702F,3703F)

 


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