のりつぐブログ

鉄道(主に名鉄),航空機に関するブログです。過去の記事も更新しますので,良ければ見返してみてください ✌︎('ω'✌︎ )

花形から脇役へ。カシオペア色のEF81

 

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2010年11月29日 元カシオペア機による安中貨物

当時、JR東日本のEF81は赤一色(貨物色)、流星付き(北斗星色)、カシオペア色、レインボー色(EF8195のみ)、の4種類のカラーリングが運用されていました。

 

彼らの主な運用としては北斗星カシオペアなどの旅客運用の他、JR貨物に委託される形で常磐線武蔵野線高崎線の貨物運用がありました。

しかし、貨物運用につくのは専らカシオペア色以外の赤い機関車。

カシオペアは別格というJR東のポリシーなのか、決して貨物運用にカシオペア色が就く事はありませんでした。

 

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2010年12月2日 96レで運用されたEF81-99。

しかし2010年5月、ついに動きが。

寝台特急カシオペア北斗星牽引機がEF81からEF510へと交代しました。 それにより活躍の場を失ったカシオペア専用機であるEF81-79.92.99 (89号機は故障により既に廃車) の3両は、それまで頑なに入らなかった貨物運用に次々とつき始めました。

 

花形運用から一転、時代の流れで交代を余儀なくされた優等機関車。前面を泥だらけにしながら貨物を引く姿は、哀しいという思いより逞しくも思えました。

 

(▼EF81安中貨物の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/05/153212

 

(▼代走!青森釜カシオペアの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/02/03/071341

 


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逆向き!?2000系犬山線試運転

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2005年1月10日 犬山線を試運転する2007Fだが、何か違和感が…

2005年1月、いよいよ常滑中部国際空港空港線開業が近づくと、出揃った2000系10編成は乗務員訓練を兼ねて各線で試運転が行われました。

犬山線でも試運転が行われましたが、ここでの試運転は少し変わった点が…

なんと、編成が逆向き。

 

この試運転行路は、新川から砂入(信)経由デルタ線を通り犬山線へ行われているため、通常豊橋方にくるはずのモ2000形が岐阜方になっていました。

 

西枇杷島構内にあるデルタ線(砂入信)、普段は営業運転では使用されることはなく、このような試運転や編成の方向転換、工臨でのみ使用されています。

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2005年1月10日 返しももちろん逆向き。残念ながら往復とも回送幕での試運転でした。

最近ではデルタ線経由の試運転はあまり聞かれませんが、この2000系の試運転で最後となるのでしょうか。

 

(▼名鉄2000系デビューの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/12/121841

 

(▼名鉄2000系4両化の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/14/133810

 


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【勝馬号】名鉄の名称列車②

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2004年5月30日 中京競馬開催時に取り付けられた「勝馬号」の板

こちらは中京競馬場での競馬開催日に合わせて掲出された「勝馬号」。

先の記事の「勝艇号」につづいて、名鉄の名称列車では有名ではないでしょうか。

 

(▼勝艇号の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2021/04/08/181624

 

遡ると、臨時の特急として勝馬号(全車指定席)が、新名古屋中京競馬場前で運転されていたようです。区間が短いながらも乗車率は良かったようで、もちろんパノラマカーも運用されていたようです。

 

2000年代初め頃までは、毎年異なるヘッドマークが用意され中々の力の入れようでしたが、いつの間にやら消滅…

 

かと思いきや、2012〜14年に突如復活。その後また音沙汰がなくなってしまいました。

あまり手持ちがないので、また撮影できる機会があると嬉しいですが笑

 


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迂回貨物!山陰本線に愛知DD51

2021年3月のダイヤ改正で引退した愛知機関区のDD51

2011年の東日本大震災でも磐越西線での貨物輸送に従事し話題になりましたが、2018年の西日本豪雨による山陰本線迂回貨物(米子~幡生操) でも注目を集めました。

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2018年9月2日 五十猛~仁万を行く迂回貨物。

これは行かねばと何とかチャンスを作って遠征予定をねじ込み、遠征決行の日。

9/1(土)に「道の駅ゆうひパーク」に乗り込みましたが、残念ながらこの日はウヤ。

仲間と合流し翌日に向けて場所を確保、翌日の決戦に向けて温泉へ浸かり、ゆうひパークにて夜を明かす。

この辺りの前回訪問はは2012年の夏、友人と岡見貨物を狙いに来て以来なので、実に6年ぶりの山陰本線巡り。だんだんと記憶が蘇ってきます。

 

夜が明けると、雲ひとつない見事な快晴。

まだ運転が始まって間もないものの、やはりなかなかの人手で注目度の高さが伺えます。

通過時刻が迫り徐々に周囲の緊張が高まる。

やがてトンネルからライトが見え、一斉にシャッター音が鳴り響く。午前9時13分、山陰本線きっての雄大な青と緑の風景に、朱色の機関車が飛び込む。

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2018年9月2日 晴天の中、山陰本線を行くDD51迂回貨物9080レ。

その後は民族大移動。

手堅く五十猛、岡見と周りましたが、天気は最後まで持ってくれました。

結局、この迂回貨物は運休を挟みながら8/28〜9/28のわずか約一ヶ月のみ運転されました。

今となっては無理して行って良かったと思うばかりです。

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2018年9月2日 岡見鉄橋を渡る迂回貨物を海側から狙う!

JR東日本EF81安中貨物の記事はこちら

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/05/153212

▼代走!青森区EF81カシオペア

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/02/03/071341


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【勝艇号】名鉄の名称列車①

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2005年1月10日 名鉄名称列車の一つ「勝挺号」。急行常滑行きの3504F

 名鉄沿線には中京競馬場笠松競馬場岐阜競輪場など公営ギャンブル施設がいくつかありますが、今回紹介するのは常滑競艇場(現:常滑ボートレース場)に関連する列車。

常滑はいまでこそ中部国際空港セントレア」開港により有名になった地域ですが、当時は競艇が大きな集客施設の一つでした。

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2004年12月24日 6000系貫通型に掲出された「勝艇号」マーク

昔からその開催日には名鉄が臨時特急・急行を仕立てて出すことも多くありました。末期にはそのような専用列車を作ることは無くなりましたが、その名残によるものなのか「勝艇号」が存在していました。

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2004年12月24日 「勝挺号」のヘッドマーク

2000年代前半、常滑競艇の開催日に常滑行きにこの「勝艇号」のヘッドマークを掲げられていました。

使用車両は3Rもしくは6Rで、板の大きさは写真の1種類。6000系貫通型にはサボ受に、3Rやそれ以外の6RはこのHMを運転席横に中吊りで掲出していました。

案内放送などで特段触れられる訳でもなく、定期列車にひっそりと掲げられていた勝艇号のHM。そんな列車も2005年1月のダイヤ改正で消滅したようです。(詳細不明)

 

(▼常滑線仮終点、榎戸駅の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/15/195741

(▼オレンジ幕の快速急行の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/04/25/063750

 


グリーンマックス Nゲージ 名鉄1600系 基本3両編成セット (動力付き) 30442 鉄道模型 電車

名鉄電車の墓場、名電築港

 

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2004年12月11日 解体を待つ7507F 名電築港にて

 名電築港。

 築港線の一区画、名古屋臨海鉄道との境界。ここは、名鉄ファンなら言わずと知れた名鉄電車にとって最後の場所。

 舞木にて廃車準備を施され、大江に運ばれた解体予定の車両は、築港線を経てここに運ばれます。

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2003年12月4日 東名古屋港に到着した1134+1184

 

 奇しくも、それは新車として搬入された経路の逆戻り。通常、本線系の新車として搬入される名鉄電車の多くは愛知県豊川市日本車輌で落成し、JR東海道線、名臨海の線路を経て名鉄線にやってきます。そして名鉄線内で最初に踏み入れるのは、まず築港線となります。

 即ち、名鉄電車にとっては最初と最後の場所と言うことになります。

 

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2002年5月1日 解体を待つ異端車5509F。

 その回送手順としては、2000年初頭は名古屋臨海鉄道のDLが大江までお迎え。大江からDL牽引により東名古屋港、名電築港へ。(譲渡車の大江埠頭への輸出もDL牽引)

 現在はEL120が牽引もしくは自走で東名古屋港まで行き、そこから軌陸車で築港へ押し込まれます。時代によって少しずつ変化しているようです。

 

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2003年5月10日 名電築港にて解体される2304号車

 解体においても、2000年初頭まではこの名電築港で重機により豪快にバラバラにされていましたが、近年は車体を分割してトラックに積み込み、リサイクル工場に輸送されています。

 

(▼旧3300系の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/06/011024

 

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2021年2月27日 分割しトラックに積まれる1702号車。解体の仕方も変化している。

 しかし、解体場所が変更された時期がありました。

 2003〜2005年頃、7039Fを革切りに5500系や8800系、7500系(7507Fを除く)が小牧線の間内付近(検車区予定地)で解体が行われました。名電築港では車両の断熱材に使用されていたアスベスト自治体の規制に触れるので間内になった…という噂を聞きましたが、真相は不明です。

 

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2005年2月1日 7511F廃回。解体場を迷走していた時期なのか?一旦大江に来たが、その後間内へ。

 しかし、2005年10月に間内で解体中の7503Fに落書きされたとのこと。その影響なのかは不明ですが、現在は再び名電築港に戻っています。

 

(▼間内解体場の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/28/105524

 

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2015年3月31日 名電築港付近を行くキハ11名鉄の新車だけでなく、譲渡車両もここを通過する。

 

 どんな車両にも最後は来るとはいえ、お世話になった思い入れのある車両の解体を待つ姿を見ると寂しい気持ちになります。

 

【2003〜2006年廃車車両および解体場の変遷】

2003年  5月 3301〜3304F  名電築港

2003年12月 1134.1184号 名電築港

2004年  2月 7039F 間内(初の施行)

2004年12月 7507F 名電築港

2005年  2月 7511F,5513F,5515F,5517F 間内

(※7511Fは舞木から大江留置、その後間内へ)

2005年  3月    8801F,8807F 8803F,8805F 間内

2005年  6月    7513F 間内

2005年  8月    7501F,7509F,7505F 間内

2005年10月    7503F 間内

2006年  6月    3401F(2401号)以降、再び名電築港へ

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2004年12月11日 7507F廃回時、初めて目撃した軌陸車。以降この車両が活躍することとなる。


名鉄車輌図鑑 (NEKO MOOK)

三河線末端区間「海線」 碧南~吉良吉田

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2004年3月10日 海線の名所、中畑〜三河旭の矢作川橋梁を渡るキハ20形2連。

2004年3月31日をもって廃線となった三河線末端区間。今回の記事は碧南〜吉良吉田の通称「海線」について。

(▼猿投〜西中金「山線」の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/20/164059

 

猿投〜西中金の「山線」との違いは幾つかありますが、個人的な思い入れのあるものを…

 

海線はその名の如く比較的海沿いにあるため、川幅の広い河口付近で長い鉄橋がいくつも点在。中でも矢作川橋梁は長く車窓からも外からも見応え十分で、撮影スポットとしても有名でした。私も何度か足を運びましたが、中々の見応えでした。

しかし老朽化が進み、存続の話がでた時に橋梁掛け替えに莫大な費用がかかることから、廃止を後押ししてしまうという皮肉な結果となってしまったようです。

 

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2004年3月10日 廃線末期、惜別板を掲げたキハ30。

1985年に電車からレールバス運行になった山線から遅れること5年、1990年に海線もレールバスが導入されました。

先の矢作川橋梁もそうですが、電化区間の名残りである架線柱もそのまま残っているところが多く、これも海線の特徴でした。

 

また運用的には、日中はほぼ機織り運用ですが、平日朝のラッシュ時間帯には三河平坂での交換がありました。当時の名鉄でも少なくなりつつあったタブレット交換が見られました。

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2003年2月 三河平坂での交換

廃止されて早くも17年。

山線と違い路線の遺構はあまり残っていないと聞きますが、時間ができたら再訪したいものです。

(▼レールバス電化区間の運用はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/06/13/124322

(▼この1年後に廃線となった名鉄路面電車の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/16/203025

 


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