のりつぐブログ

鉄道(主に名鉄),航空機に関するブログです。過去の記事も更新しますので,良ければ見返してみてください ✌︎('ω'✌︎ )

名鉄電車の墓場、名電築港

 

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2004年12月11日 解体を待つ7507F 名電築港にて

 名電築港。

 築港線の一区画、名古屋臨海鉄道との境界。ここは、名鉄ファンなら言わずと知れた名鉄電車にとって最後の場所。

 舞木にて廃車準備を施され、大江に運ばれた解体予定の車両は、築港線を経てここに運ばれます。

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2003年12月4日 東名古屋港に到着した1134+1184

 

 奇しくも、それは新車として搬入された経路の逆戻り。通常、本線系の新車として搬入される名鉄電車の多くは愛知県豊川市日本車輌で落成し、JR東海道線、名臨海の線路を経て名鉄線にやってきます。そして名鉄線内で最初に踏み入れるのは、まず築港線となります。

 即ち、名鉄電車にとっては最初と最後の場所と言うことになります。

 

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2002年5月1日 解体を待つ異端車5509F。

 その回送手順としては、2000年初頭は名古屋臨海鉄道のDLが大江までお迎え。大江からDL牽引により東名古屋港、名電築港へ。(譲渡車の大江埠頭への輸出もDL牽引)

 現在はEL120が牽引もしくは自走で東名古屋港まで行き、そこから軌陸車で築港へ押し込まれます。時代によって少しずつ変化しているようです。

 

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2003年5月10日 名電築港にて解体される2304号車

 解体においても、2000年初頭まではこの名電築港で重機により豪快にバラバラにされていましたが、近年は車体を分割してトラックに積み込み、リサイクル工場に輸送されています。

 

(▼旧3300系の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/06/011024

 

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2021年2月27日 分割しトラックに積まれる1702号車。解体の仕方も変化している。

 しかし、解体場所が変更された時期がありました。

 2003〜2005年頃、7039Fを革切りに5500系や8800系、7500系(7507Fを除く)が小牧線の間内付近(検車区予定地)で解体が行われました。名電築港では車両の断熱材に使用されていたアスベスト自治体の規制に触れるので間内になった…という噂を聞きましたが、真相は不明です。

 

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2005年2月1日 7511F廃回。解体場を迷走していた時期なのか?一旦大江に来たが、その後間内へ。

 しかし、2005年10月に間内で解体中の7503Fに落書きされたとのこと。その影響なのかは不明ですが、現在は再び名電築港に戻っています。

 

(▼間内解体場の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/28/105524

 

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2015年3月31日 名電築港付近を行くキハ11名鉄の新車だけでなく、譲渡車両もここを通過する。

 

 どんな車両にも最後は来るとはいえ、お世話になった思い入れのある車両の解体を待つ姿を見ると寂しい気持ちになります。

 

【2003〜2006年廃車車両および解体場の変遷】

2003年  5月 3301〜3304F  名電築港

2003年12月 1134.1184号 名電築港

2004年  2月 7039F 間内(初の施行)

2004年12月 7507F 名電築港

2005年  2月 7511F,5513F,5515F,5517F 間内

(※7511Fは舞木から大江留置、その後間内へ)

2005年  3月    8801F,8807F 8803F,8805F 間内

2005年  6月    7513F 間内

2005年  8月    7501F,7509F,7505F 間内

2005年10月    7503F 間内

2006年  6月    3401F(2401号)以降、再び名電築港へ

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2004年12月11日 7507F廃回時、初めて目撃した軌陸車。以降この車両が活躍することとなる。


名鉄車輌図鑑 (NEKO MOOK)

三河線末端区間「海線」 碧南~吉良吉田

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2004年3月10日 海線の名所、中畑〜三河旭の矢作川橋梁を渡るキハ20形2連。

2004年3月31日をもって廃線となった三河線末端区間。今回の記事は碧南〜吉良吉田の通称「海線」について。

(▼猿投〜西中金「山線」の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/20/164059

 

猿投〜西中金の「山線」との違いは幾つかありますが、個人的な思い入れのあるものを…

 

海線はその名の如く比較的海沿いにあるため、川幅の広い河口付近で長い鉄橋がいくつも点在。中でも矢作川橋梁は長く車窓からも外からも見応え十分で、撮影スポットとしても有名でした。私も何度か足を運びましたが、中々の見応えでした。

しかし老朽化が進み、存続の話がでた時に橋梁掛け替えに莫大な費用がかかることから、廃止を後押ししてしまうという皮肉な結果となってしまったようです。

 

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2004年3月10日 廃線末期、惜別板を掲げたキハ30。

1985年に電車からレールバス運行になった山線から遅れること5年、1990年に海線もレールバスが導入されました。

先の矢作川橋梁もそうですが、電化区間の名残りである架線柱もそのまま残っているところが多く、これも海線の特徴でした。

 

また運用的には、日中はほぼ機織り運用ですが、平日朝のラッシュ時間帯には三河平坂での交換がありました。当時の名鉄でも少なくなりつつあったタブレット交換が見られました。

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2003年2月 三河平坂での交換

廃止されて早くも17年。

山線と違い路線の遺構はあまり残っていないと聞きますが、時間ができたら再訪したいものです。

(▼レールバス電化区間の運用はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/06/13/124322

(▼この1年後に廃線となった名鉄路面電車の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/16/203025

 


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流線形!名鉄3400系「いもむし」

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2002年8月3日 広見線各務原線にて惜別イベントが行われた3400系

1937年に登場した3400系、通称「いもむし」。

元祖名古屋鉄道の東西直通のシンボルとして、当時流行だった流線形を取り入れた車両でした。動態保存を経て、2002年8月に惜しまれつつ引退しました。

その経歴を読み解くと、名鉄においては最も愛された車両であることが伝わってきます。

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2002年8月3日 御嵩に到着した3400系。運転日ごとに異なる特製HMが掲出された。

もともとの車体番号は3403-2403でしたが、1988年の動態保存工事をきっかけに改番されたことは有名です。

調べてみると、改番に際して取り付けた車体ナンバーの「1」は、もう一つの流線形車両である、名鉄850形「なまず」の廃車発生品ということで、何かと名鉄史に所縁の深い車両です。

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2002年8月3日 3400系の車内。青いモケットに緑の化粧板、天井には扇風機があった。

晩年においてはエバーグリーン賞を受賞した事をキッカケに車体もリバイバルカラーが施され、車内のモケットも青へ変更。冷房化に際しては外観を考慮し、床下に本体が、網棚の片隅に室内機が設置されました。

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2015年4月25日 舞木に保存されたモ3401。台車も元のD18にも履き替えられた。

私自身は、2002年8月に広見線各務原線で行われたさよなら運転が最初で最後の撮影チャンスとなりました。

その際、なんと各務原線の急行運用をこなしたのには驚きました。名鉄さんの粋な計らいでしょうか。

現在は3401号車のみ舞木検車区にて静態保存されています。

 

【車両沿革】

1937年 2両編成3本が登場 (3401F〜3403F)

1950年 3450形を組み込み、3両編成に

1953年 2450形を組み込み、4両編成に

1967年 重整備開始、ストロークリーム色へ

1976年 スカーレット一色へ

1988年 3403-2403を除き廃車。3401-2401に改番し動態保存化

1992年 エバーグリーン賞受賞。リバイバルカラーへ

1995年 定期運用離脱

2002年 さよなら運転、運行終了

2006年 ク2401廃車回送

現在、3401が舞木検車場構内にて静態保存

 


名鉄電車 昭和ノスタルジー (キャンブックス)

名鉄5500系、間内へ廃車回送

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2005年2月9日、最後の自力走行で舞木に向かう5500系3重連

2/9に布袋から最後の自力回送を行った5500系3編成は舞木検車場にて廃車回送の準備を終え、2/25から26日未明にかけてデキ600のプッシュプルにて間内解体場に輸送されました。

(▼5500系最終運用日の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2021/01/27/133101

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2005年2月25日 舞木にて発車を待つ5500系。

舞木から知り合いの車に便乗して、本宿・新安城・犬山・間内と、この日ばかりはと追っかけ。途中並走しましたが、45Km/hくらいのゆっくりとした速度で走行と思いきや、70Km/h近い結構な速度で飛ばしていました。

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2005年2月25日 デキ600に牽かれ、間内へ向かう5500系。

間内への廃車回送は、前の記事の8800系と同様のダイヤで行われました。

(▼名鉄8800系廃車回送の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2021/02/28/131356

 

2/25 豊デキ601+5515F+5513F+5517F+デキ604岐

【回9600】舞木2225〜本宿2230

【回9601】本宿2241〜美合2252-2304〜ヨ〜犬山0136

【回9830】犬山0147〜小牧0207-08〜間内0215

※小牧〜間内間は逆線走行

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2005年2月25日 新安城にて退避するデキ600と5500系。

一挙一動が注目されていた廃車回送だけあってなかなかの人手。5500系の人気の高さが伺えます。

(▼間内解体解体場の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/28/105524

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2005年2月26日 間内へ到着後、牽引車にて奥に押し込まれる5500系。

未明に間内に到着した5500系はデキを切り離し、牽引車にて解体線へ。

やがて夜が明けて、5500系の標識灯やパンタが無くなった姿を目の当たりにし、これで本当に廃車になってしまったんだと痛感しました。

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2005年2月26日 間内解体場に佇む5500系。お疲れさまでした。

 

(▼名鉄5500系3重連の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/05/04/183401

(▼知る人ぞ知る3重連回送の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/03/08/235715

(▼5517F(茶色)の記事らこちら ) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/18/213135

(▼5513F(黄色)の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/06/23/182826

(▼5515F(白帯)の記事はこちら) https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/04/080004


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7700系に紙貼り!代走の新鵜沼行き

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2004年3月31日 紙貼りで「新鵜沼」を掲出し運用された代走編成。

2004年3月31日、急行大野町行きに充当された7037F+7707FのP6代走は、折り返し新鵜沼行きとなります。

(▼急行大野町行きの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/11/132728

 

新鵜沼」の板が定期運用では見られないことから、折り返しの運用も是非押さえねば!と待機していると…やってきたのは何やら長細い行先表示。なんとコピー用紙にゴシック体で「新鵜沼」の文字が。残念ながら新鵜沼の板が無かったようで、この様な手作りの行先表示となったようです。

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2003年12月21日 雪かきスコップになった新鵜沼の系統板。板車が減ってこんな使い道も…

 

当時は電動幕と系統板で運用される車両がありましたが7700系や5500系、一部のパノラマカーなどは系統板を使用(板車)。頻繁に使われる行き先板は主要駅や終着駅に常備してあることが殆どでしたが、板車が減少し系統板自体も減少。突発的な運用や車両変更により、急遽行先板が準備できない場合もありました。

 

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2005年1月30日 7045Fに取り付けられた紙貼りの系統板

また、2005年1月のダイヤ改正初期においては、「中部国際空港」を中心とした新たな行き先系統板の製作が間に合わなかったのか、紙貼りの行き先でパノラマカーが運用されていました。

(▼行き先が紙貼り!パノラマカーの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/10/30/093927

 


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名鉄8800系、間内へ廃車回送

(2021/3/5 写真追加)

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2005年3月23日 デキ600牽引で間内へ向かう8803F+8805F。

2005年1月のダイヤ改正で引退した8800系「パノラマDX」。

(8801F.8803F.8805F.8807Fの4編成)

8801F+8807Fはダイヤ改正翌日には、ヘッドマークを抜かれた状態で下小田井西枇杷島間の留置に留置されました。(8803F+8805Fは豊明?)

その数日後に自力で舞木検車場へ回送されました。

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2003年3月23日 美合にて退避中。犬山経由で間内に向かうが、到着は翌日未明。

舞木検車場にて廃車回送準備が行われ、まず第一陣の8801F+8807Fが3/7に、続いて3/23に第二陣の8803F+8805Fが、デキ600のプッシュプルで舞木を出発し、翌日未明にかけてそれぞれ間内へ運ばれました。

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2005年3月23日 豊橋方はデキ601。

2005/3/23  デキ604+8803F+8805F+デキ601

【回9600】舞木2225〜本宿2230

【回9601】本宿2241〜美合2252-2304〜ヨ〜犬山0136

【回9830】犬山0147〜小牧0207-08〜間内0215

※小牧〜間内間は逆線走行

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2015年4月25日 舞木にて保存された車両たち。

1984年に登場し、20年ほど活躍したパノラマDXの終焉。

日本初のハイデッカータイプの展望席を設け、そのデザインは後継の1000系「パノラマsuper」に継承されました。

名鉄特急に大きな革新をもたらした車両でしたが、残念ながら車両単位の保存はされませんでした。しかしながら、現在8803号車の先頭展望室のみがカットモデルとして舞木検車場に保存されています。

(▼名鉄8800系の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/04/07/192910

(▼間内解体場の記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2019/02/28/105524

(▼スカートがない!?パノラマDXの記事はこちら)

https://noritugu2.hatenablog.com/entry/2020/08/03/075551


鉄道模型 TOMIX トミックス Nゲージ 名鉄 8800系 パノラマDX 92291

189系「彩野」

 

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2005年4月17日 189系「彩野」。この時期は鎌倉物語号としてたびたび運行していた。

2005年4月、東海地方から関東に出てきた私はすべての車両が物珍しく、毎月DJを読み漁り、いろんなポイントに出向き、手当たりしだい撮影していました。


この189系Z45編成「彩野」もそんな時期に撮影したものの一つ。

団体専用列車として主に使用されていたこの車両、赤と黄色の独創的なカラーリングで主張が激しく、評判はイマイチ…
2005年当時はまだ客車のジョイフルトレインがいくつも運行されていましたが、この日は誰にも見向きされないような電車JTの彩野(メインです)のために横須賀線まで行きました。

 

彩野のベースは、もともと「あずさ」で使用していた189系JT改造し、松本から小山電車区へ配置。しかし、登場からわずか約2年半後の2005年11月でこのカラーリングでの運用は終わりました。

 

その後、東武直通特急用車両(予備車)として抜擢され、東武の「スペーシア」に準じたカラーに変更。2006年3月に大宮電車区のOM201編成として活躍することとなりました。

こんな変遷をするとは、当時の私には想像もつきませんでしたが、食わず嫌いなく記録することは大事だと感じた車両でした。

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2010年1月24日 東武直通用特急の予備車として抜擢された「彩野」


TOMIX Nゲージ 98901 189系日光・きぬがわ 6両セット